私は物心ついた頃から母が苦手だった。
昭和一桁生まれの彼女は
いわゆる良妻賢母をよしとする信念を持ち
女は常に男性より一歩下がって歩くものだと信じていた
また、それこそが女の幸せだと思っていたようだ
貧しさ故に学校も満足に通わせて貰えなかったと常々嘆いていた
饅頭屋に奉公へ出た時に時計の見方が分からずに困ったと笑う
しかし、結婚をして4人の子供をもち
貧しいながらも女として母としてまたは
嫁として昭和、平成、令和を生き抜いている女性である
そんな母との毎日をここで記していこうと思う
娘にとって生まれながらにライバルは母なのかも知れない
私は、どちらかと言えば父親っ子で
結婚の許可をもらった時も、母ではなく父だった
父は一言
「お前が選んだ人ならいい」と言ってくれた
後に母が激怒した事は言うまでもない
今となっては懐かしい記憶である
父は65歳と言う若さで この世を去った
2年間は意識がなく、眠ったままの状態だったが
私たちに別れの時間をくれたのだろう
父の死を境に 母の人生は大きな転換を迎えた
それまでの穏やかで幸せな生活は一変する
家の跡取りとして育てた長男兄は
借金を作り妻と子を置いて蒸発し行方不明に
次に跡取りとなった次男兄は多額の借金で
自己破産をし 家を出て行った
三男兄は骨に悪性腫瘍が見つかり右下肢を切断した
田舎の古い家屋に
年老いた母と障害のある兄で生活していたが
老後のための蓄えは全て 2人の息子の借金で消え
少しばかりの年金で質素な暮らしをしていた
母の心臓が手術を必要となった時に
私の元へ引き取る覚悟をした
色々な葛藤があり 自分でも本当にそれで良いのか迷ったが
なんと言っても 親である
私を産み、育ててくれた親だ
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